#18_伊坂幸太郎「フィッシュストーリー」

最後のレコーディングに臨んだ、売れないロックバンド。「いい曲なんだよ。届けよ、誰かに」テープに記録された言葉は、未来に届いて世界を救う。時空をまたいでリンクした出来事が、胸のすくエンディングへと一閃に向かう瞠目の表題作ほか、伊坂ワールドの人気者・黒澤が大活躍の「サクリファイス」「ポテチ」など、変幻自在の筆致で繰り出される中篇四連打。爽快感溢れる作品集。

フィッシュストーリー (新潮文庫)

フィッシュストーリー (新潮文庫)

 伊坂幸太郎の短編を読むのは初めて。以前に読んだものでは『死神の精度』も短編集に入るのかも知れないが、そちらは主人公と世界観が一貫したシリーズだった。本書は、全く別の短編小説が四編収録されている。
 “全く別”と言えど、キャラクターが微妙に重なっていたり、他の作品で語られたエピソードが垣間見えたりと、いかにも伊坂幸太郎らしい演出は健在である。そういった作品同士のリンクを発見すると、ついつい嬉しくなってしまうものだ。


『動物園のエンジン』
 夜の動物園、シンリンオオカミの檻の前には永沢が寝ている。永沢は動物園の「エンジン」であり、彼の存在によって周囲の明るさや音、動物達の活気までもが違って感じられるのだ。昼はマンション建設反対運動に参加し、夜はシンリンオオカミの檻の前で眠る。「私」と、河原崎さん、恩田の三人は、そんな永沢の様子をそっと伺い始めた―。

 四編の中で最もファンタジー性の強い小説である。「エンジン」である永沢の挙動は謎めいており、他の登場人物達もどことなく危ういような印象を受ける。セリフの内容やジョークは軽快なものなのだが、不思議と全体的に鬱々としたような暗い雰囲気が漂っているように感じた。
 主人公が十年前の出来事を振り返る形なのだが、どうやら現在の「私」は平凡ながらも幸福な人生を送っているようである。十年前のパートでは彼自身の素性や主観はほとんど語られることはなく、あえて客観視を徹底しているようにも思われる。ページ数が少なくあっという間に終わってしまうが、主人公「私」というキャラクターについて、もっと知ってみたいような気もした。
 「河原崎さん」とは『ラッシュライフ』に登場した、死体のスケッチをする「河原崎」の自殺した父親であろう。強引で思い込みは激しいが発言は堂々としており、「河原崎さん」は良い意味でも悪い意味でも周囲の人間に多大な影響を与えそうな人物である。そんな父親に自殺されたとあっては、『ラッシュライフ』の河原崎が精神バランスを大いに崩した理由について、やや納得出来た気がする。
 『オーデュボンの祈り』の主人公である伊藤も登場している。「私」と恩田、伊藤は大学の同級生だったようだ。会話の内容から察するに、本作で語られる十年前とは、『オーデュボンの祈り』の少し前のことであるらしい。


サクリファイス
 依頼によって、ある男を探すために黒澤は小暮村を訪れる。人里離れたその村には、古い生贄の習慣に由来した、不気味な儀式の風習が残されていた。村民たちと出会い様々な話を聞くうちに、黒澤はいつしか、村の核心へと迫っていくのだった。

 様々な伊坂作品に登場する、泥棒を本職とする男「黒澤」が主人公のストーリー。本作では、副業である探偵としての一面が描かれている。
 俗世間とは隔絶された村に残る、謎めいた風習―とは、横溝正史を連想させる、ミステリの王道ともいうべき設定である。しかし内容は王道から少し外れて、必要以上に恐怖感をあおることはなく、ライトにまとまっている。短編という性質上、伏線の回収も早いので、物語はテンポ良く展開される。
 黒澤というキャラクターは、やはりカッコいい。決して感情的にはならず「「常にフラットな物の見方をするので、ミステリの探偵役としては適任である。自分の目的だけのために行動しているかに見せて、実は誰も傷つかないように振る舞うところも好感が持てる。
 ラストの「オチ」はかなりのご都合主義で違和感を覚えたが、短編なのでこれもアリなのかもしれない。ハッピーエンドがふさわしいストーリーであることは、間違いないのだ。


『フィッシュストーリー』
 「僕の孤独が魚だとしたら」―二十年前、とある男の運転する車のカーステレオからは、とうに解散したロックバンドの最後のアルバムが流れていた。小説の文章を引用したその曲は、演奏途中に突然音の途切れる箇所がある。渾身の思いでレコーディングされたアルバムは十数年の時を超え、不思議な繋がりを持ちながら未来を変えていく。

 表題作。過去に映画化もされている。いかにも伊坂幸太郎らしい演出満載の、爽快な物語である。
 解散の決まったロックバンドが最後に作った一曲をきっかけに、とある人物が救われ、その結果生まれた息子が、十年後に世界を救う発見をすることになる女性の命を救う。バタフライエフェクト。「風が吹けば桶屋が儲かる」の新訳とも言えそうだ。次々に未来へとリンクしていく様子は心が躍るし、実際どのような事柄も始めは些細なきっかけに過ぎないのかもしれない…と思うと、ロマンを感じずにはいられない。
 時系列通りに書かれていないところも、良く計算された効果である。どうして曲に無音部分が生じたのか、という見方のミステリとしても機能している。冒頭に登場する二十数年前のパートで男が友人とレコードについて語るが、その居酒屋はロックバンドのメンバーがレコーディングの打ち上げに使っていた。店員の言い回しでそのことが分かるというような細かい伏線も、読んでいて楽しい。現代のパートには、『ラッシュライフ』で拳銃強盗をしていた老夫婦も登場している。
 ちなみに「fish story」とは、ほら話のことらしい。


『ポテチ』
 大西は妙なきっかけから空き巣を生業とする今村に命を救われ、やがて一緒に暮らすようになった。子供のようで掴みどころのない今村だが、とある人物の部屋に忍び込んで以来、どこか様子がおかしいようにも感じられる。やがて大西が知ることになるのは、今村の出生に関する秘密だった―。

 個人的には、四編のなかで一番好きな作品。最近、映画化が決定したようである。
 大西と今村はごくありふれた恋人同士のようでありながら、直ぐにも消えてしまうような関係性にも思えてどことなく切ない。ふわふわした現実感のない発言の目立つ今村に対して、大西はいつも現実的で冷酷にも感じられる。そのような二人の会話がコミカルなのだが、不安定な二人の関係を表現しているようでもある。
 『サクリファイス』では主人公を演じた、黒澤も登場する。泥棒稼業の先輩として今西から慕われているが、今西の心情を察して心配する様子は、今までに出会ったどの黒澤よりも人間味が感じられた。少し意外な印象すら残すほどである。
 今西の出生の秘密―オチとなる部分に関しては、かなり早い段階で察しがついてしまった。具体的には、アイスに名前を書き忘れた大西を今村が叱るシーンから気づき始めたのだが、序盤からこのような比較的分かりやすい伏線を入れているあたり、作者側にも読者を驚かせようという意図はないのかもしれない。そもそもタイトルが『ポテチ』である以上、今村がポテトチップスを食べながら涙を流すのが重要なシーンであることは明白なのだし。
 ラストシーンは少々強引だが、それでも感動的である。きっとこの様になるだろう、なればいいな…と想像した通りのラストであり、爽やかな読後感を残す。作品集全体として見ても、最後に収録されているのが本作で正解に思う。
 ちなみに今村も、『ラッシュライフ』に少しだけ登場している。


 短編である以上、いつもの巧妙な伏線やトリックは控えめだし、ストーリー展開も多少強引さが目立つ。しかしどの作品も読んで良かったと思えるものであり、十分に楽しめた。
 ただ、初めて伊坂幸太郎を読むのであれば、やはり長編の方をオススメしたい。何作か別の作品を読んだ後の方が、きっと一層本作の面白さを味わえるはずである。