#17_米澤穂信「ボトルネック」

亡くなった恋人を追悼するため東尋坊を訪れていたぼくは、何かに誘われるように断崖から墜落した…はずだった。ところが気がつくと見慣れた金沢の街にいる。不可解な思いで自宅へ戻ったぼくを迎えたのは、見知らぬ「姉」。もしやここでは、ぼくは「生まれなかった」人間なのか。世界のすべてと折り合えず、自分に対して臆病。そんな「若さ」の影を描き切る、青春ミステリの金字塔。

ボトルネック (新潮文庫)

ボトルネック (新潮文庫)


 米澤穂信、「このミステリーがすごい!」2010年版の作家別投票一位になった作家である。近年では『インシテミル』が映画化されて話題になった。
 初めて読んだのだが、なかなかに衝撃的だった。

 高校一年生の嵯峨野リョウは、亡くなった恋人諏訪ノゾミを弔うために東尋坊を訪れた。花を手向けようと崖下を覗き込んだ瞬間、「おいで、嵯峨野くん」突如襲われる浮遊感。―落ちた。そう思った次の瞬間、何故か地元の川原のベンチで目が覚める。記憶が混濁しているのか?しかし手元には東尋坊へ向かう往復切符の、復路分だけが残されていた。
 戸惑いながらも家に帰ったリョウを迎えたのは、見ず知らずの少女だった。嵯峨野サキと名乗りこの家の娘であると主張する少女に、リョウはいよいよ混乱する。自分に姉はいない…いや、生まれなかったはずなのに。しかし家の中から見つかるのは、サキが嵯峨野家の娘として存在している証拠ばかりであった。
 リョウの代わりにサキが生まれた、もう一つの「可能世界」。そこは果たして、リョウの知っている世界とはどのように違っているのか―。

 「もしあのとき、こうしていれば」という後悔は、意味がないと知りつつも尽きないものである。後悔の先をどんどん遡っていくと、最終的に行き着くのはきっと「もしも自分が生まれてこなかったら」。この小説は、そんな「もしも」を自分自身の目で確かめていく物語である。
 ミステリと思って読み始めたが、設定からも分かるようにSFの要素が強い。主人公が唐突に別世界へ入り込んでしまうという趣向のSFはそれほど珍しくないが、どうしてそのような事態が起きたのか思案を巡らしたり、元の世界に戻ろうと必死になったり一切しないというのは少し新鮮だ。というのも、主人公のリョウが無関心・無感動を心情にしているキャラクターだからである。
 設定もキャラクターも決して明るく楽しいものではないのだが、書き味がライトなのでテンポよく読み進めることが出来る。ともすれば陰鬱になりそうなテーマを、細かな複線を多用した仕掛けや他愛無い会話シーンなどを盛り込むことですんなり読ませるのは、作者の手腕であろう。

 リョウが目を覚ました、別の「可能世界」とは、つまりサキが生まれた世界である。母親は兄ハジメを生んだ跡に女の子を妊娠したが、水子となってしまった。両親は子供は二人と決めていたため、リョウが生まれた。リョウは死んだサキの代わりに設けられた子供であり、当然サキが生まれた世界にリョウは存在しない。嵯峨野家の第二子として生まれたのはサキかリョウか、リョウは「サキだった」場合の世界へ入り込んだことになる。
 このような設定の構図上、リョウとサキはことさら対照的に描かれている。リョウは常に自分の感情を排除するように努めており、自分の境遇や将来すらも諦めているかのように見えるのに対して、サキは自らを「オプティミスト楽天家)」であると称しており、それに違わず明朗快活で、多少強引なところもある。ストーリーに動きをもたらしているのはサキというキャラクターの功績が大きく、ちぐはぐな二人の会話もコミカルで面白い。

 家の中や街中で、リョウは自分の世界との様々な違いを発見する。生まれたのがサキかリョウかの違いでどうしてこのような相違が生じるのか解き明かしていく工程は、純粋にワクワクする。タイムスリップもののSFで頻繁に取り沙汰される「バタフライ効果」だが、このような設定は珍しいかもしれない。

↓以下、ネタバレ

 そのような中で、リョウは二つの世界の決定的な違いに出会ってしまう。サキの世界では、最愛の恋人であったノゾミが生きていたのだ。なぜノゾミは生きているのか…逆にリョウの世界ではなぜ死んでしまったのか、リョウとサキは答えを探し始める。本作品のミステリ要素はこの一点に集約されているのだが、正直それほど驚きの真相が隠されている訳ではない。しかし設定が特殊であるため、単純な犯人探しとはひとあじ違った読みごたえで、新鮮な面白みがある。

 両親や兄、そしてノゾミ。サキの世界でリョウが目にしたものは、何もかも自分の世界より良い方向に変化していた。唯一の心の支えであったのはノゾミに恋していた気持ちだったが、そのノゾミでさえも虚像であったことが分かる。やがてリョウは気がついた、自分こそが『ボトルネック』であると。
ボトルネック】システム全体の効率を上げる場合の妨げとなること。全体の向上のためには、まずボトルネックを排除しなければならない。
 「自分がいる世界」と「自分がいない世界」を比較するなどということは、少し想像しただけでも残酷である。まして、「いない」世界の方が明らかに幸福そうであったとしたら…。まさに絶望と呼ぶにふさわしい感覚を味わうのではないだろうか。クライマックスでリョウがサキに語る言葉には、そのような心情が表現されている。感情的に怒鳴り散らしたりするわけでもなく、きちんと気持ちを整理した上で出た言葉だということが分かるので余計に痛々しいシーンとなっている。

 ラストシーンは、様々な解釈の余地を残して締めくくられる。個人的に「皆様のご想像にお任せします」的なオチは好きではないのだが、この小説に関しては納得出来た。あまりにも救いがないのも、逆に唐突なハッピーエンドを迎えるのも違う気がするので、読者の好みによってそれぞれ想像させるのが一番良いのかもしれない。
 私としては、やはりリョウに生きていてほしいと思う。