#29_伊坂幸太郎「モダンタイムス」

恐妻家のシステムエンジニア渡辺拓海が請け負った仕事は、ある出会い系サイトの仕様変更だった。けれどもそのプログラムには不明な点が多く、発注元すら分からない。そんな中、プロジェクトメンバーの上司や同僚のもとを次々に不幸が襲う。彼らは皆、ある複数のキーワードを同時に検索していたのだった。

モダンタイムス(上) (講談社文庫)

モダンタイムス(上) (講談社文庫)

モダンタイムス(下) (講談社文庫)

モダンタイムス(下) (講談社文庫)

 上下巻に分かれた、伊坂幸太郎の中ではかなり分量の多い作品。現時点での文庫最新作である。

 現在から約五十年後の未来。システムエンジニアである渡辺拓海は、彼の妻に雇われた男からの拷問を受けていた。拷問者が問いかける―「勇気はあるか?」。
 実体の掴めないクライアント、不可解なプログラム、気がかりなメッセージを残して姿を消した上司。怪しげな追跡者の存在も見え隠れする中、渡辺達が辿り着いたキーワード…それは五年前に起きた、とある中学校での凄惨な事件であった。

 今から約五十年後の近未来が舞台、ではあるのだが、実はそのこと自体はそれほど重要でない。というのも、未来的な描写はほとんど書かれることがないのだ。近未来SFといえば発展した技術を描くのが普通。しかしこの作品では、ほとんど私達が今いるこの時代と変わらない世界が淡々と書かれているのである。変わっていると言えば、日本に徴兵制度があることと、インターネットにおける多少の規制が布かれているくらいであろうか。あとは、登場人物達が昭和の著名人を歴史上の人物かのように語るので、「ああ、未来の話なのだな」と思い出す程度である。
 ならば何故わざわざ、五十年後であるという設定にしたのか(徴兵制などの設定に関しては、現代のフィクションとしても問題ないのではないか?)。正直これは最後まで読んでも分からなかったのだが、本作と内容に関連性のある『魔王』(同作家著)との、時系列の都合なのであろうか。そちらは未読であるため何とも言えないが、時代設定は置いておくとして、本作単体でも十分に読むことは出来た。

 主人公である渡辺の妻・佳代子は実に恐ろしい女性で、夫の浮気を疑って、なんと拷問者を雇ってしまうほどなのだ。あまりにも非現実的であるが、そこを会話のリズムでとんとん進めていくところが、いかにも伊坂幸太郎らしい。いっそギャグのような恐妻ぶりを発揮する佳代子なのだが、後半に進むにしたがってどんどん魅力的に思えてくるのは面白い。
 「井坂好太郎」という名前の作家も重要なキャラクターとして登場するのだが、著者によるあとがきによれば、小説家の名前を考えることが億劫になり自分の筆名を変形させたに過ぎなく、特別な意図は無いのだそう。著者がどのような人物であるかは知らないが、作中の「井坂好太郎」は異性にだらしなく、軽薄そうに描かれており、作風から受ける伊坂幸太郎のイメージとはずいぶんと違っている。そのため、渡辺が「井坂好太郎」を嫌悪しているような表現がある度にどことなく違和感を覚えるのだが、そこもまた、面白みの一つと言えるのかもしれない。

 妻が与える脅威と、プログラムを請け負う会社「ゴッシュ」にまつわる不可解な事件。その両方に渡辺はどんどん流されていくだけで、前半ではとにかく受動的でしかない。典型的な「巻き込まれ型」の主人公である。もちろん物語の進行に従って徐々に積極的なアクションを起こすようになってはいくのだが、読み始めは少しじれったく感じる。その分、渡辺の同僚である大石倉之助(これもまた、キャッチ―なネーミングである)などサブキャラクターがストーリーを作ってくれるため飽きさせないのだが。主人公に好感が持てるようになるまで、少しページ数が必要であると感じた。

 少々本題とずれるが、本作には奇抜な名前の人物が多く出てくる。忠臣蔵でお馴染みの赤穂浪士大石内蔵助と同音の「大石倉之助」は先に述べたが、「愛原キラリ」なる中年女性も登場する。まさかそんな名前!と思うが、良く考えてみると、昨今の若い親は子供に奇抜な名前を付けることが多い。舞台設定は五十年後なのだから、なるほど、可愛らしすぎる名前のおばさんがいても不思議ではないのかもしれない。


↓以下、ネタバレ


 安藤潤也と血縁関係にある人間が持っている、超能力について。渡辺は一体どんな能力を持っていて、いつ開花するのか―。かなり焦らして惹きつけておき、結局発揮されたのは、他人に思い通りのセリフを喋らせることができるという“腹話術”の超能力であった。エスパーが登場するような物語で、主人公の能力があまり役に立たなそうなものであるというのは、よくある設定だ。しかし、安藤潤也の兄と同じ能力というのは、少々肩すかしだった。二人の接点は遠い血縁関係という以外特に書かれていないし、だとしたら別の新しい能力の方が面白そうに感じるのだが…。
 ただ、渡辺が初めて超能力を使えるようになったのはかなりひっ迫した状況であったので、咄嗟に使うことができる(つまり、渡辺が以前話に聞いたことのある)能力でなければならなかったのかもしれない。

「根本的解決にはなっていない。だけどな、目の前のシステムくらいは壊してやる」
大きな目的の前では無力な私たちも、眼前の小さな目的のためには行動できるのだ、と信じたかった。

 あらがいようもない、目には見えない大きな力に流されて行きながら、それでもとりあえず目先の目的を果たす。文庫本にして800ページ近い長編が帰結するのは、 “世の中には、どうしようもなく大きな力が存在する。だったら自分に手が届く範囲のことを、せめて精一杯やろう”ということだった。実にありきたりである。だが、これしかないようにも思える。同著者の作品で『ゴールデンスランバー』も似たようなラストを迎えたはずだが、結局は最良の落とし所なのだろう。センセーショナルな展開が続く小説のオチがあまりにもセオリー通りなので少々残念に思えなくもないが、では他に良い決着があるとは思えないし、読後感も悪くない。良しとすべきであろう。
 終盤の「ゴッシュ」本社に乗り込むシーンにはそのような、少し脱力感の伴う要素が凝縮されている。むしろこの“少し残念”“でも、まぁこれで良いのだろう”という感覚こそ、作者の意図したラストなのかもしれない。

 着地点は好みが分かれるところであるとして、スピーディな展開を追いかけて少年漫画的に楽しむことは出来た。上巻の高揚感が覚めないうちに、一息に読み切ってしまうことをおすすめしたい。