#23_中山七里「おやすみラフマニノフ」

秋の演奏会を控え、第一ヴァイオリンの主席奏者である音大生の晶は初音とともに、プロへの切符をつかむために練習に励んでいた。しかし完全密室で保管されていた、時価2億円のチェロ、ストラディバリウスが盗まれる。脅迫状も届き、晶は心身ともに追い詰められていく。さらに彼らの身に不可解な事件が次々と起こり…。メンバーたちは、果たして無事に演奏会を迎えることができるのか。ラフマニノフピアノ協奏曲第2番」がコンサート・ホールに響くとき、驚愕の真実が明かされる。

おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)

おやすみラフマニノフ (宝島社文庫)

 前作『さよならドビュッシー』を読んで以来、文庫化を待ちわびていた「岬洋介シリーズ」の第二段。音楽を題材にしたミステリという形はそのままで、音大のオーケストラが物語の舞台である。
かなり高い期待値を持って読み始めてしまったにも関わらず、見事そのハードルを超えてきてくれた。中盤あたりからどんどん引き込まれ、ラストが近づく頃には必死で次のページをめくってしまった。前作並み、もしかするとそれ以上に完成度の高い作品である。そして…相変わらず岬先生はカッコ良すぎるのだ。

 音大でヴァイオリンを志す城戸晶は、夢と現実の狭間に立ち、将来への不安を抱いていた。実家からの仕送りが途絶え、学費の納入もままならない晶であったが、幸運にも学長が参加する定期演奏会のオーケストラでコンサートマスターの座を射止めた。柘植彰良学長は“稀代のラフマニノフ弾き”と呼ばれるピアニストで、年老いた今もなお音楽界にその名を轟かせている。
 しかし練習を開始した矢先、事件は発生した。学長の孫娘で晶の恋人でもある柘植初音が使用するはずの、ストラディバリウスのチェロが完全密室状態にあった保管庫から姿を消したのである。一切の謎が解けない中オケのメンバーは疑心暗鬼になるが、その後不可解な事件が次々と起き始めるのであった。

 「岬洋介シリーズ」と言われてはいるが、岬洋介が主人公ではないのだ。前作『〜ドビュッシー』ではピアノコンクールに挑む少女のストーリーだったが、本作は音大が舞台となり、主人公はヴァイオリン奏者の大学生・城戸晶である。
 好きなヴァイオリンをずっと弾いていたいと願いつつも、大学卒業後の「将来」が間近に迫った状態で焦燥し、葛藤する。前作のように「もっと上手く演奏したい!」といった情熱的でエネルギッシュな奮闘だけではなく、晶が抱えているのはより現実的でひっ迫した苦悩である。大好きな楽器を弾くことを仕事に出来たら、もちろんそれは素晴らしく幸福なことだ。しかし、純粋にヴァイオリニストになりたいと語っていた子供のころとは違う現実が、大学卒業が近づくにつれ見えてきてしまった…。このような晶の苦しみは、音楽に限らず、芸術を志す者であれば誰しもが感じたことのあるジレンマではないだろうか。いや、芸術の分野でなくても同じかもしれない。やりたいこと、好きなことと職業が一致している人間など、ほんの一握りにすぎないのであろうから。大人になる前に誰しもが一度は突きあたる悩みの渦中にいる少年という意味では、晶は非常に感情移入しやすい主人公と言えるだろう。

 話の展開としては、演奏会というゴールに向かって進んでいく単純な構成であり読みやすい。前作同様、表現豊かな演奏シーンを交えつつミステリとしてのストーリーも同時進行していく構成は見事である。

↓以下、ネタバレ

 チェロ消失のトリックは少々強引ではないかと感じた。また、ストレートな伏線(ヒント)が目立つので、事件の犯人も晶の出生に関する真相も謎解きシーンの前に気づいてしまう。そのような意味では、ミステリとしてのオチは少々弱いと言える。
 ただ、演奏会のシーンはやはり素晴らしい完成度であった。舞台袖から演奏終了までのスピーディさは、スポーツ小説の試合を見ているようでもある。それにしても、岬先生は指揮まで出来るのか…。近年出会った小説の中でも、ここまで完璧なヒーローは珍しいくらいだ。

 『〜ドビュッシー』を読んでいなくても支障のないように書かれてはいるが、やはりシリーズ順通りに読むことをお勧めする。気付いたときに少し嬉しくなるような、作品同士のリンクもちゃんとあるのだ。
 現段階の著作では、これ以降の続編は書かれていない。まだまだ底の知れない岬洋介の活躍がもっと見たいと願わずにはいられず、次の作品を期待して止まないのである。