#12_伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」

コンビニ強盗に失敗し逃走していた伊藤は、気付くと見知らぬ島にいた。江戸以来外界から遮断されている“荻島”には、妙な人間ばかりが住んでいた。嘘しか言わない画家、「島の法律として」殺人を許された男、人語を操り「未来が見える」カカシ。次の日カカシが殺される。無残にもバラバラにされ、頭を持ち去られて。未来を見通せるはずのカカシは、なぜ自分の死を阻止出来なかったのか?

オーデュボンの祈り (新潮文庫)

オーデュボンの祈り (新潮文庫)

 伊坂幸太郎デビュー作。デビュー作とはいえ、機知に富んだ言い回しや、精巧に練られた緻密なストーリー展開はすでに顕在である。そして、本作はめずらしくファンタジー色が強い。著作順で考えれば「めずらしく」と言う表現は適切でないのかもしれないが、他の伊坂幸太郎作品に比べて少々異色な印象を受けた。まだまだ読んでいないものも多いので、何とも言えないのだが。

 伊藤はある日、見知らぬ部屋で目を覚ます。そこは“荻島”という、百五十年もの間外界との交流を絶っている土地であった。日比野と名乗る男に案内されて島を歩き始めた伊藤だが、出くわすのは奇妙な人間ばかり。人間ばかりならまだしも、最も奇妙なのは「喋るカカシ」である。優午という名前のカカシは当然のように人の言葉を発し、しかも未来が見えるのだと言う。俄かには信じがたいと思いつつも、伊藤は徐々に荻島へ興味をひかれていった。
 しかし一夜明けると、島の様相は一変していた。昨日会話を交わしたばかりのカカシが殺されていたのである。百年以上もの間、皆の指針となってきたカカシを失った島民達は、困惑し色めき立つ。その時伊藤には一つの疑問が浮かんでいた。なぜ優午は、自らが殺されるという未来を阻止できなかったのであろうか?見えなかったのか、それとも見えていた上で、誰にも伝えなかったのか…。

 主人公である伊藤が、様々な荻島の住人と出会い、会話を繰りかえす形で物語は進行する。これは、ゲームをプレイしている感覚に近い。ある人と会話を交わすと次のイベントが発生し、徐々にストーリーの全貌が見えてくる…といった具合である。場面転換がはっきりしているので読みやすく、テンポが良い。何よりも次々に登場するキャラクター達がとても奇妙で、魅力的なのだ。

 「園山」は妻を殺されたショックで気がふれて、以来嘘しか言わなくなった画家だ。嘘しか言わない、とは逆説的に真実しか言わないのと同じことであるのだが、小さな子供が駄々を捏ねているようでどこか可笑しい。
 途中で園山が「私は嘘しか言わない」と発言する場面があるが、これは言葉遊びに近い、パラドックスである。『嘘しか言わない』が嘘であるとすれば『本当の事しか言わない』という意味になるが、それでは『嘘しか言わない』が「本当」になってしまう。絶対に命令に従うロボットへ、「私の命令に従うな」と命令する事と同じである。こういうどこかお洒落な笑いが、この作品の一つの魅力だ。

 驚くほどに端正な顔立ちをした「桜」は、殺人を黙認された男だ。それは島の「ルール」であり「法律」として、彼自身の判断によって犯罪者を銃殺する。警察の間でも、桜の話題はタブーとなっている。
 極端な表現ではあるが、彼の存在は『人は人を裁けるのか』という疑問への一つの回答なのかもしれない。近年、裁判員制度の適用時に多く取りざたされたテーマだ。法律に当てはめてみれば絶対に死刑にならないような犯罪者を殺害してしまう桜は、一見残忍で無慈悲に思える。しかし法律を作ったのも、それを基準として裁判を取り行うのもまた、人なのだ。悪事に罰を与えるのは結局、人の主観でしかない。法治国家も桜も、やっていることは同じなのかもしれない。

 荻島の島民達がどこか現実感のない変な人物ばかりなのに対して、伊藤の回想シーンのなかで登場する元恋人の「静香」は人並み以上に現実を生きている女性である。努力を惜しまず仕事に励み、常に他人から必要とされていないと自らのアイデンティティを実感出来ない。程度に差はあれ、「必要とされたい」というのは誰でもが持ち合わせている感覚である。そこだけに盲目的になってしまうのは良くないが、認められたい、かけがえのない存在になりたいという気持ちをモチベーションに生きるのは、決して悪い考え方ではないと思う。
 過剰すぎるほどに仕事に打ち込み、非現実的なことは全て毛嫌いしているかのような彼女は、荻島で不思議な出来事に見舞われてばかりの伊藤と、分かりやすい対比の構図になっている。

↓以下、ネタバレ

 カカシの優午が自らの意思によって命を絶ち、様々な人物に少しずつの指令を与えることによって曽根川を殺害した。衝撃の真実!という印象ではないのだが、小さな伏線が繋がって一気に事件の全貌が明らかになる、ラスト間際の田中との会話シーンには爽快感があった。このあたりは、ファンタジーでありながらもミステリの性質を失っていないと言える。
「優午は人間に復讐したのかもしれない」―悲しい結末だが、納得に値する。

 優午の死、曽根川の死という事件とは別の謎として、島に伝わる言い伝えがある。『島には欠けているものがあり、外から来た人物がそれを置いていく』というもので、日比野以外の人間は誰も信じていない様子であった。
 実はこれは、「人間を形成するのに最も大切なものは何か」という問いに対して伊藤が繰り返していた「音楽とのふれあい」という冗談が重要な伏線になっている。中盤から怪しさを滲ませ始める轟と、心音を聞いていた若葉…というファクターが全て結びついたときには、少なからず興奮を覚えた。この奇妙な物語を締めくくるには、ふさわしいラストである。

 「先のことなんて知らないほうが楽しいもんだ。もし誰かに聞かれても『面白くなくなるよ』って言って、教えないほうがいいさ」
未来の見えるカカシがいてもいなくても、結局未来のことは誰にも教えてもらえない。どこか現実的ではない荻島で生きる人も、現実の中で生きる静香も、やがて現実へと戻っていく伊藤も。先が見えないという点では平等であるそれぞれの人生を、自分自身の価値観と判断で生きて行くしかないのである。ファンタジー要素の強いこの作品に込められたメッセージは、とてもリアリティーに満ちたものなのかもしれない。
 愉快な会話の数々や意外な展開は、理屈を抜きにして読者をワクワクさせるし、ストーリーの核となるテーマもしっかりと伝えてくる。「ボートでホイホイ行き来できるような距離にある島が、誰にも存在を知られていない訳ないジャン!」というような野暮な考えは破棄して、素直に読まれるべき作品であると感じた。