#21_和田竜「小太郎の左腕」

一五五六年。戦国の大名がいまだ未成熟の時代。勢力図を拡大し続ける戸沢家、児玉家の両雄は、もはや開戦を避けられない状態にあった。後に両陣営の命運を握ることになるその少年・小太郎のことなど、知る由もなかった―

小太郎の左腕 (小学館文庫 わ 10-3)

小太郎の左腕 (小学館文庫 わ 10-3)


 文庫化されるのを楽しみに待っていた作品。早速購入し、一気に読んでしまった。
 デビュー作「のぼうの城」がベストセラーとなり、震災の影響で公開延期となっているが映画化もされた。本作はそんな和田竜の三作目である。「のぼう」は、評判に違わず大満足の面白さだった。歴史小説が好きで多く読んできたが、司馬遼太郎山岡荘八に慣れ親しんでいる私にとっては「このような歴史小説があるのだ」と、新鮮な驚きがあった。確かに時代設定は戦国期なのだが、読み味はどこか現代風なのである。言葉使いが読みやすく噛み砕いて表現されていることもあるが、展開も単純に書かれており、混乱しがちな合戦のシーンもイメージしやすかった。
 「のぼう」が良かったので期待した二作目「忍びの国」だが、実はこれは物足りなかったのだ。読む前に期待値を高め過ぎてしまったこともあり、少し拍子抜けである。決して悪くはなかった、面白かったのだが…。エンターテイメント性を出し過ぎて、内容が薄まってしまった印象を受けた。
 さて、別作品の感想が長くなってしまったが、そのような流れを受けての本作「小太郎の左腕」である。今回は読む前にハードルを上げすぎないように、なるべく自然な気持ちで読み始めた。
 しかしこれが、実に面白かったのである。

 戸沢家の重臣である林半右衛門は、敵対する児玉家との戦の中で猛将・花房喜兵衛の槍を受ける。深手を負った半右衛門を山中で出会った猟師が介抱するが、そこで出会った猟師の孫が小太郎という名の少年であった。
 ひと月後、児玉家との戦を前に大規模な鉄砲試合が開催された。武士と農民の区別なく参加できるこの大会に、小太郎が姿を見せる。半右衛門を助けた折に礼として、出場させてもらう約束をしていたのである。通常の鉄砲では取るに足らない結果に終わった小太郎だが、執拗に制止する祖父・要蔵に違和感を覚えた半右衛門はふと、左構えの鉄砲を与えてみる。するとそこで小太郎は、驚くべき才能を発揮したのであった。

 タイトルは「小太郎の左腕」だが、物語の主人公は林半右衛門という武士である。この半右衛門が、実に分かりやすいキャラクターに描かれている。現代人がイメージする侍像そのものと言っても良い。感情表現がストレートで、忠誠心に厚く、武功の為に命を賭して戦う。近習に「坊」呼ばわりされて嫌な顔をするといった可愛い一面もあるが、六尺を超す巨躯を振り回して敵をことごとく打ち倒す様は文句なしに格好良い。主人公が主人公然としていることは、この小説を読みやすいものにしている一つの要因であろう。

 脇を固める登場人物も、それぞれ魅力的だ。敵方の武将である花房喜兵衛は、これも豪快な男であり、半右衛門が唯一その武才を認めている。お互いの首を狙っている存在であるはずながら、時には親友のように会話を交わすこともあり、それが侍の「粋」に感じられる。半右衛門と喜兵衛のシーンは緊張感があり、読み手をグッと引きつける。
 一方で戸沢家当主の甥である図書は、分かりやすいくらいに凡庸だ。何かに付けて半右衛門に食ってかかり、その対抗心が災いして家を滅ぼしかねない危うさすらある。典型的な嫌われ役なのだが、しかし読み進めるに従って、彼なりの苦悩や意外な一面が見えるようになる。終盤のシーンではいつの間にか図書に憐みを感じ、感情移入してしまった。このような所も、上手く出来ていると感じた。

 そして何と言っても小太郎であるが、類まれなる鉄砲の才能と引き換えに、悲しい運命を多く背負った少年である。村のいじめられっ子だった前半と、とあるきっかけで才能を開花させる中盤以降では随分と印象が変化するが、子供らしい口ぶりと優しい性根は一貫している。戦国期に限らず現代においても、他人から抜きん出た才を持つ者は誰でも、何かしらの苦悩を抱えているのかもしれない。しかし小太郎の場合はまだ幼く、もたらされる災厄はいつも他人の勝手な都合によるものなのだ。小太郎の心境を思うと切なく、胸が痛くなる。

 ストーリーは常に半右衛門目線で描かれており、戸沢家と児玉家の抗争に終始しているので分かりやすい。緩急をつけた山場がいくつもあるので飽きさせないし、ドラマチックに仕上がっている。
 しかし本作を読んで改めて感じたが、籠城戦というのは本当に過酷なものである。戦において最も重要なのは兵個人の技量ではなく全体の士気の高さだと言うが、いつ攻め入ってくるかも知れない敵に常に気を張り、終りの知れない日々を城の中で耐え忍ぶことの辛さは想像に難くない。数か月単位で続く籠城戦の間中、兵士達が士気を保つというのは並大抵のことではないだろう。ましてや食糧が底を尽きてしまえば、飢餓も襲ってくる。肉体の衰弱はもちろんのこと、通常の精神状態を保てる人間の方が少ないのではないだろうか。児玉家との籠城戦の折に半右衛門が非情な行動に出たのも、そのような背景があってのことなのかもしれない。
 本作の時代設定は1556年、織田信長が世に名を馳せる少し前である。鉄砲を大々的に使った戦術と言えば、信長が武田勝頼に圧勝した“長篠の戦い”が最初である。以来戦国における戦の形態が大きく変化したと言われるが、これは20年程後の話ということだ。つまりこの頃の戦における鉄砲はまだ脇役であり、槍や刀の補佐的にしか考えられていなかった。絶対数の少なさや弾込めにかかる手間も考えて、おそらく命中率はそれほど良くなかったのだろう。そのような中であるから、確実に的を撃ちぬく小太郎の腕はより魅力的に映り、戦に巻き込まれることになってしまった。鉄砲隊を隊列に配備し、数で圧倒する時代―…あと数十年後の世に生まれていれば、小太郎にはもっと別の生き方があったのかもしれないと思ってしまう。

 全体を通して一つだけ難点を挙げるとすれば、少々説明過多に感じる部分があったことだろうか。「この時代の人間は」とか「当時の武士の考え方では」と言った解説が繰り返され、ややくどい。しかし、時代小説や時代劇に慣れていない読者にとっては親切な解説なのかもしれず、一概に難点と言い切れないのも確かだ。歴史好きにはじれったく感じられてしまうが、万人に満点の評価を受ける小説など無いだろうから仕方ない部分ではある。

以下、ネタバレ

 半右衛門がラストに下す結論は切ないが、他によい選択は無いように思える。小太郎と、なにより自分自身の心を救う為に半右衛門は命を捨てる決意をしたのに違いない。兜に仕込んであった風車には、小太郎と一緒に涙を流してしまった。泣きながらも、最後には止めることを諦めた三十郎も切ない。
 散々戦に翻弄された小太郎だが、せめて静かに、“人並みに”生きられることを願うばかりである。

 「我が名は林半右衛門秋幸。功名漁りの半右衛門とはわしがことじゃ。我が首を挙げ、一生分の飯を稼いでみせよ」
 強い主人公と良いライバル、そして絶対的な才を持つ少年。スピーディーな展開にどんどん引き込まれ、しっかりと感動させる。少年漫画のような印象で読むことが出来るので、仮に歴史小説に抵抗があったとしても、是非一読してみてほしい。
 和田竜の今後にも期待したい所である。