#20_恩田陸「ドミノ」

一億円の契約書を待つ締め切り直前のオフィス、下剤を盛られた子役、別れを画策する青年実業家、待ち合わせの場所に行き着けない老人、警察のOBたち、それに……。真夏の東京駅、28人の登場人物はそれぞれに、何かが起きるのを待っていた。迫りくるタイムリミット、もつれあう人々、見知らぬ者同士がすれ違うその一瞬、運命のドミノが倒れてゆく!抱腹絶倒、スピード感溢れるパニックコメディの大傑作!!

ドミノ (角川文庫)

ドミノ (角川文庫)


 飛行機移動のお供に、楽しく読めそうな小説をと思い選んだ一冊。裏の紹介文に「抱腹絶倒」とあったので、ドレドレ!と言った具合だ。『夜のピクニック』『チョコレートコスモス』などが有名な恩田陸であるが、実は初読みである。
まず、読みやすさに驚いてしまった。ページが凄いスピードで減っていく。そしていつの間にか、展開に目が離せなくなっていた。抱腹絶倒…こそしなかったが、まぎれもなく、大変面白い小説であった。

 何の関係性も持たずにそれぞれの日常を過ごす、年齢も性別も、置かれている境遇も違う人物達。彼らが偶然にも東京駅に集結した時、運命が動き出した。一つのピースをきっかけに次々倒れて行くドミノのように、小さな偶然が次の小さな偶然を呼び、やがて大きなうねりとなって、東京中を巻きこんだ未曾有のパニックを引き起こす!

 はじめに表紙をめくって一ページ目、いきなり飛び込んでくる「登場人物より一言」にまず辟易してしまった。要するに登場人物紹介なのだが、その人数が普通じゃないのだ。なにせ28人である。名前と設定を一致させて記憶するには、かなり無理がある。「これを覚えなきゃ読めないのなら、無理かもな」と、誰でもよぎってしまうに違いない。
 しかし、よくよく「一言」を読んでみると、これが案外面白く書かれているのである。例えば、森川安雄「チャゲ&アスを聞いて自分を励まし、日曜は『世界遺産』を見て寝ます」とか、落合美江「見た目が派手だからって、中身までケバいと思わないでよね。普段のスーツはカルバン・クラインよ」といった調子だ。結果的に言えば、最後まで読んでもストーリー上にチャゲアスは全く関係無いし、それは他の人物にしても同じである。物語を読む上で必要な情報ではないが、何となく印象に残る人物紹介。これが後々、てきめんに効果を発揮してくるのだ。
 この小説の面白さは、多様な登場人物達が徐々に意外な繋がりを見せていくところにある。次々と場面転換するのが持ち味だが、その分スピーディな切り替わりについていくのが大変だ。「これは誰だっけ?」と疑問符を浮かべながら読むのでは、楽しさも半減である。しかしこの時に冒頭の人物紹介ページに戻ってみると、「ああ、この人ね」とそれまでの展開が蘇ってくるのだ。印象的な「一言」をキーワードとして結びつけて記憶しているので、すぐにその人物のストーリーへ戻ることが出来る。いわば「一言」のページは、あらかじめ用意されたメモ書きのように機能するのである。登場人物が多くて混乱しがちな内容に対して、上手くフォローがなされている。

 さて、内容に関してだが、巧妙に組み立てられているのが良くわかる。話の流れ上、時にあり得ないほど強引なシーンも見られるが、コメディという性質であれば許容範囲である。
 登場人物は子供から老人まで多種多様で、皆何らかの目的を持って東京駅にやってくる。その目的は、俳句仲間とのオフ会や倶楽部代表の後継者争い、または爆弾テロを目論む過激派など、一見他愛無いものからひっ迫したものまでこれも様々だ。ただ共通して言えることは、それぞれが自らの目的に対して真剣であり、一様に必死になっているという点である。これが大変面白い。かたや爆弾の入った紙袋を探している男がいれば、一方で大好きなスイーツを懸命に探す女がいる。本人達はあくまでも自分の目的だけに一生懸命であり、そのような場面が次々に描かれることで可笑しさを誘っている。場面転換のタイミングも絶妙であり、あっという間に引き込まれてしまう。

以下、ネタバレ

 紙袋の入れ替わりなど、全編にわたって多くの仕掛けが施されているが、一番「ヤラレタ!」と感じたのはダリオである。映画監督フィリップ・クレイヴンのペットとして序盤から登場し、ホテルを脱走して騒動を起こすが、これを勝手に犬だと思い込んでいた。よく思い返してみれば一度も犬だとは書かれていないし、フィリップがダリオの同行を隠していたことや、狭い所を好んで紙袋に入りこむといった行動も犬としては不自然なのだ。しかしそれらのヒントには気が付かず、ラストで紙袋から顔を出したダリオがイグアナだった時にはまんまと驚いた。人間の先入観とは恐ろしいものであるが、このようなトリックは楽しい。

 爆弾の起爆装置がどこに行ってしまったのか、ラストでは読者だけに語るような形で明かされる。個人的に「その後は想像にお任せします」というテイストのオチは好みではないのだが、この作品に関しては引きのバランスが良いので、むしろ心地よい終わり方だと言える。数多い登場人物達もきちんとそれぞれにエンディングを迎えており、終結のさせ方も鮮やかである。

 読中の愉快さは抜群で、エンターテイメントとして一級品である。読み手を選ばず誰でも楽しめるという意味では、お見舞いなどにも適した作品かもしれない。