#15_有川浩「図書館危機」

思いもよらぬ形で憧れの“王子様”の正体を知ってしまった郁は完全にぎこちない態度。そんな中、ある人気俳優のインタビューが、図書隊そして世間を巻き込む大問題に発展。加えて、地方の美術展で最優秀作品となった“自由”をテーマにした絵画が検閲・没収の危機に。郁の所属する特殊部隊も警護作戦に参加することになったが!?表現の自由をめぐる攻防がますますヒートアップ、ついでも恋も…!?危機また危機のシリーズ第3弾。

図書館危機 図書館戦争シリーズ (3) (角川文庫)

図書館危機 図書館戦争シリーズ (3) (角川文庫)



 図書館戦争シリーズ第三巻。一巻「図書館戦争」が導入編、二巻「図書館内乱」で地固めが終わり、いよいよストーリーが本格始動したという雰囲気である。
今回も全体的にネタバレがあるかもしれないので、嫌いな方はご注意を。

一、王子様、卒業
 前巻のラストで手塚慧から、王子様=堂上であることを知らされてしまった郁。前巻を読んだ時点では、「もうちょっと引っ張れるのに、もったいない」と感じたのだが、この章を読んで納得した。王子様への憧れと堂上へ惹かれる気持ちが並行していては、郁はいつまでも今の堂上とは向き合えない。早めにバレたのは、その分郁の気持ちを丁寧に描くためなのだろう。
 図書館内で毬江が痴漢に遭い、郁と柴崎が囮となって犯人を捕まえるエピソード。小牧の荒々しい様子は珍しいが、大事で仕方がない恋人が傷つけられたとなれば当然だろうか。理路整然としているだけに、怒らせると一番怖い男である。
 郁の王子様卒業宣言には小牧と一緒に笑ってしまったが、相変わらずカッコいい主人公だ。男よりも女にモテるタイプなのではないだろうか。
 個人的には、痴漢の囮になるために女性らしい装いをした郁に、見違えたと言いかけて「み、」と言ってしまう手塚が可愛くて好きだった(笑)。

二、昇任試験、来たる
 郁と手塚、柴崎が、士長昇任を目指して試験を受けるエピソード。珍しく苦手な分野に行きあたり、必死になる手塚が微笑ましい。真面目で頭が固い人間というのは、往々にして子供が苦手なのだろうなと思う。
 この章辺りから郁が、王子様としてではない堂上自身を好きなのかもしれないと自覚し始める。いよいよラブコメの真骨頂といった様相で、思わずにやけてしまうようなシーンも多い。ここで郁と堂上が交わすカミツレに関する会話が、後々にまで意味を持つことになる。

三、ねじれたコトバ
 玄田と旧知の仲であり週刊誌の記者である折口マキが、ある俳優のインタビュー記事を書くことになる。メディア良化法の違反語に該当するワードを避けて記事をまとめた折口に対して、俳優は自らの表現を改変されたことが納得出来ない。
 派手なエピソードではないが、「図書館戦争」シリーズの本質を突いているように思う。メディア良化法が存在しない世界にいる私たちだが、「不適切な表現」とされる所謂「放送禁止用語」や「差別用語」など暗黙のルールはしっかりと形成されている。“自主規制”も、一つの検閲と言えるのではないだろうか。火器を使ったアクションシーンなどがない分、あながちSFの世界とも言い切れないストーリーである。
 粗雑で無鉄砲に描かれていた玄田であったが、一世一代の奇策を打って見せ、その頭脳に驚かされる話でもあった。堂上や郁のように信念一つで突っ走っていくような人間では決してなく、どちらかと言えば小牧に近い性質なのかもしれない。口は乱暴だが、利害を天秤にかけて客観的な判断を下すことの出来る人物なのだ。さすが特殊部隊の隊長を務めているだけのことはある。

四、里帰り、勃発―茨城県展警備―
五、図書館は誰がために―稲嶺、勇退

 茨城県で開催される美術展の最優秀作品に、良化法批判の意思が明らかな絵が選ばれる。良化特務機関の検閲が予測される県展の警備に当たるため、関東図書隊の特殊部隊は茨城県立図書館へ赴いたが、そこの図書隊には理不尽なヒエラルキーが存在していた。一巻「図書館戦争」で情報歴史資料館の攻防への参戦を外されていた郁にとっては、初めての大規模な攻防戦となる。
 女子寮で郁は図書館員から陰湿ないじめを受けるが、傷つきながらも毅然とした態度を取り続ける様は清々しい。そしてここぞとばかりに堂上が優しいので、その辺りも見どころである。
 郁にとって初めての大規模攻防であるとともに、読者の側から見てもここまで凄惨な戦闘シーンが描かれたのは初めてである。改めて、図書館“戦争”シリーズであると思い出される。全身に銃弾を浴びながらも笑みを浮かべる玄田や、辞任する稲嶺に向かってずらりと並んだ図書隊員が一斉に敬礼する…など、なんとも『男くさい』シーンも多い。表現の自由公序良俗といったテーマを盛り込みつつも、SFとしてのエンターテイメント性もしっかりと押さえられている。各巻でそれがバランスよく配置されているので、全4巻の長編シリーズでも飽きさせないのだろう。
 手塚慧もいよいよ台頭してきた。稲嶺を欠き、玄田も不在の関東図書隊はどうなってしまうのか。ラストでついに堂上が好きだと認めた、郁の恋の行方は…?大変に引きを持った状態で、第三巻目は幕である。

 と言う訳なのだが、実は最終巻も既に読み終わっているのだ。正確には、ぶっ通しで読んでしまった。そちらのレビューに関しても、近々にアップしたい。

#14_有川浩「図書館内乱」

図書隊の中でも最も危険な任務を負う防衛隊員として、日々訓練に励む郁は、中澤毬江という耳の不自由な女の子と出会う。毬江は小さいころから面倒を見てもらっていた図書隊の教官・小牧に、密かな想いを寄せていた。そんな時、検閲機関である良化隊が、郁が勤務する図書館を襲撃、いわれのない罪で小牧を連行していく―かくして郁と図書隊の小牧奪還作戦が発動した!?書き下ろしも収録の本と恋のエンタテインメント第2弾。

図書館内乱 図書館戦争シリーズ (2) (角川文庫)

図書館内乱 図書館戦争シリーズ (2) (角川文庫)


 私は本を読むのが遅い。一字一句きちんと目を通さないと先に進めないという妙なこだわりと、読解力不足が主な原因で、加えて時間の使い方も下手なためになかなか腰を据えて本を開く時間がない。なので通常は、4〜500ページほどの文庫本を一冊読むのに一週間かかってしまう。内容如何によってはもっとかかることも。
 しかしこの「図書館内乱」は、一日で読み終わってしまった。私にしてみれば相当早いペースである。前巻からの勢いで、先が気になって気になって仕方なかった。
 いやぁ、面白かった。

 前巻「図書館戦争」で、主人公笠原郁を始めとする主要キャラクター達の性格と、物語の世界観と設定に対する説明が完了した。本作から、やっと本流に乗って滑りだした印象である。一から五までの章に分かれているが、大きなエピソードとして見れば四つ。終りの二章は続きの話となっている。
 今回は全体的にネタバレがあるかもしれないので、嫌いな方はご注意頂きたい。

一、両親攪乱作戦
 前巻より「娘が戦闘職種に就いていると知れば、卒倒確定」とフリのあった、郁の両親が武蔵野第一図書館を訪ねてくるというエピソード。郁は自分が図書特殊部隊配属であることを必死に隠そうとするが、単純に心配した様子の母親に対して、どうやら父親は薄々感づいているような素振りを見せる。最後には堂上に思いを託して去っていくが、堂上を頼れる上官と判断したのか。娘の恋心まで見抜いていたのだとすれば、大した父親である。子供が想像するよりも、親は子供の事が分かっているのかもしれない。何にせよ、格好いいオヤジだ。
 迷惑そうに文句を言ったりしつつも、結局協力的な態度を取ってしまう堂上班の面々や柴崎も微笑ましい。郁が皆に助けられていることが良くわかる章でもある。

二、恋の障害
 小牧にスポットを当てたエピソード。中澤毬江という中途難聴者の少女が初登場する。毬江は小牧の幼馴染で、まだ十八歳でありながらも小牧に恋心を抱いている。
郁と柴崎、そして毬江と、女性陣の活躍が際立つ。恋愛スキルが低そうな郁だが、自分自身が絡まなければ結構鋭いのかもしれない。小牧と毬江の関係はお互いを依存し合っているようで危うくも見えるが、その分思いの強さは十分に伝わってくる。巻末のショートストーリーからも伺えるように、時間が経つにつれて段々と、普通の可愛らしいカップルになっていくのだろう。
 小牧への出頭要請で良化部隊が乗り込んできたときに、たて突いた郁を堂上が殴って宥めるシーンがある。そのあとでフォローを入れに来た堂上と郁のやり取りが、上官としての責任と一個人の愛情、両方が見えるようでとても良い。危なっかしい部下を持って、しかもそれが気になる女の子だとすれば、堂上の気苦労は半端ではないと思う。
 ところで、郁はしょっちゅう堂上の平手を食らっている気がするのだが。

三、美女の微笑み
 柴崎のエピソード。「自分は美人だから」というような発言が元より目立っていたが、他人の内面を推し量るのが得意である故の苦悩と葛藤が描かれる。美人すぎるのも意外と大変である。
 同僚の女性たちや、それを見る柴崎の心情など、さすが女性作家の小説だと言える。読みやすく書かれてはいるが、結構黒い女の一面もチラホラ。そんな中で郁のまっすぐさは爽快であり、郁がそばにいる柴崎は幸せ者だと思う。

四、兄と弟
五、図書館の明日はどっちだ

 このエピソードで手塚の兄・慧が登場し、研究会『未来企画』と、派閥の対立構造が明らかになる。査問にかけられたり研究会に勧誘されたり、郁が精神的に揺さぶられるシーンが多くみられるが、頭が良くないなりに必死で考え、彼女なりの信念を持って発言している様子は頼もしい。肉体労働専門に思われた郁だが、精神面もかなり強いようである。どこまでもかっこいい主人公だ。
 「俺が迎えに来たかったのは俺の勝手だ」
 堂上は今回目立った活躍が出来ずに終わるが、郁を励ます言動や態度がイチイチ優しい。慧と会っていた郁を迎えに来るシーンなどは、あまりにもお約束過ぎて、むしろそれが堪らない。痒いところに手が届く、というか、しかるべき場面でしかるべき行動に出てくれるが堂上の魅力なのだ。
 手塚に色々と懸案があることも明らかになった。全く違う意見を持つ兄との関係というのも、なかなかに難しい。お互いに嫌い合っている訳ではない分なおさらである。新しく館長に就任した江東という人物も、今後ストーリー上で重要な役どころになってきそうな予感がする。ところで、手塚と柴崎が少しずつ良い感じになっている気がするのだが、二人の恋愛という路線もあり得るのだろうか。個人的に手塚は好きなキャラクターなので、大いに応援したいところだ。
 ラストでついに、王子様イコール堂上であると郁が認識する。手塚慧によってバラされた形だ。「ついに」と表現したが、私としては「アレ、もうバレちゃうの!?」という印象だった。もう少し引っ張ると思っていたが、案外早い。シリーズはあと2巻分続くので、今後郁が堂上をどのように意識するのか…大変気になるところだ。それに、郁が知ってしまったということを堂上は知らないはずなので、そのあたりも見どころである。

 2冊読み終えて、いよいよ折り返し。先が気になる度合いも加速度をつけて増している。例によって次巻は購入済みなので、早速読み始めることにしよう。

#13_有川浩「図書館戦争」

2019年(正化31年)。公序良俗を乱す表現を取り締まる『メディア良化法』が成立して30年。高校時代に出会った、図書隊員を名乗る“王子様”の姿を追い求め、行き過ぎた検閲から本を守るための組織・図書隊に入隊した、一人の女の子がいた。名は笠原郁。不器用ながらも、愚直に頑張るその情熱が認められ、エリート部隊・図書特殊部隊に配属されることになったが…!?番外編も収録した本と恋の極上エンタテインメント、スタート。

図書館戦争 図書館戦争シリーズ (1) (角川文庫)

図書館戦争 図書館戦争シリーズ (1) (角川文庫)

 実は、有川浩の作品を読んだのはこれがはじめてである。今最も人気と勢いのある作家の一人だと思うが、なんとなく機会を逸して読めずにいた。
いざ読んでみると、何だコレ!チョー可愛い!!キャラクターは誰もが個性的で姿が目に浮かぶようだし、セリフの一つ一つが微笑ましい。加えて、恋愛要素が主かと思いきや、バックのストーリーも大変しっかりと作られているのだ。もちろん、ラブコメの面目躍如的シーンもふんだんに用意されている。アニメ化、コミカライズという動きも頷ける。
 かくして、終始ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながら読みきってしまった。傍目には大変不気味である。うーん…恐るべし。

 舞台は現代よりもほんの少しだけ未来の日本、東京。政治的背景によって成立した、過剰すぎる検閲権を有する「メディア良化法」と、それに対抗すべく成立した「図書館の自由法」―両法の名のもとに、「メディア良化委員会」と「図書館」が本の自由を懸けて時には武装し、抗争を繰り広げている…と、かなりSF要素の強い設定だ。第一章の冒頭でこの世界観に対する説明がなされるのだが、この部分を読んだだけで完璧に理解するのは少し難しい。しかしそのまま読み進めると、きちんとストーリーの中で徐々に消化できる構造になっているので、ここは心配せずとも大丈夫だ。むしろ、特殊な設定を採用しているSF作品において序盤にあまりにも長々と説明文が続いてしまうと、理解するよりも先に興ざめしてしまう。ここはフレーム程度に留めておいて、ストーリー上の必要性に応じて少しずつ肉付けされていく方が、よほど親切である。
 こと本作に関しては、主人公の笠原郁が無知(要するにおバカ)という設定なので、主人公と一緒に上官たちから教わっていけば良いのだ。

 物語のメインとなるのは、2人のキャラクター…主人公の笠原郁と、その上官である堂上篤である。郁は、高校生の時にとある図書隊員に助けられた経験を持ち、その「王子様」(と、郁が勝手に読んでいる)を追いかけて、自分も図書隊員となった。座学の成績はひどい有様だが、その類まれなる身体能力と負けん気の強さを買われ、新隊員にしていきなり図書特殊部隊(ライブラリー・タスクフォース)へ抜擢される。女性の特殊部隊員採用は、史上初のことであった。
 対する堂上は、訓練期間中は新退院に厳しい「鬼教官」であり、特に郁には、なぜかことのほか厳しく当たっているように見えた(その理由は終盤で明かされる)。郁が特殊部隊に配属されてからは直属の上官となり、事あるごとに怒鳴り散らす日々である。しかし、郁が本当のピンチに陥った時には必ず駆けつけて助けるし、落ち込んだときには黙って泣かせてくれる優しさも見え隠れする。ちなみに容姿は、端正な顔立ちながらも身長の低さが玉にキズ、170センチの郁と比べて5センチ以上も「チビ」である。
 郁はまっすぐな性格と一生懸命な姿が好感の持てる、主人公らしい主人公として描かれている。言うなれば、典型的な「愛されキャラ」である。上官や同僚相手に啖呵を切ったり、後ろからドロップキックをかましたり(!)と男勝りな面が目立つが、実はすぐに涙を見せるというような可愛らしい一面もあり、素直に応援したくなる。そんな郁に首しく当たる堂上だが、決して「完璧な上官」としては描かれておらず、郁が自分の仕事に悩んだり落ち込んだりしている影で、ひそかに堂上もクヨクヨしていたりする。素直ではないが案外分かりやすい正確なので、意外に可愛いキャラクターなのだ。
「今に見てろチビ!大っ嫌い!」
「アホか貴様!」
 二人の喧嘩にも似た掛け合いは、思わず笑ってしまう。目の上のタンコブのように感じながらも徐々に尊敬の念を深めていく郁と、口では厳しいことを言うが何だかんだで結局優しくしてしまう堂上。シリーズものの一巻目なので本作は「恋の予感」程度に留まっており、今後が楽しみでしかたない。

 郁のルームメイト柴崎麻子や特殊部隊の隊長玄田竜助など、脇を固めるキャラクターも皆個性が強くて魅力的だ。その中でも特筆したいのは、郁と同期で、同じく図書特殊部隊へ配属された手塚光である。手塚はいずれの分野においても成績優秀でありながらさらに努力を惜しまない優等生で、同じ様な気質の堂上を慕っている。序盤は、正論を振りかざして郁を傷つける「嫌味なヤツ」という印象だが、徐々に手塚なりの不器用さや人間味が見えてくるようになり、最終的には班のツッコミ役のような存在に落ち着いてしまう。(他がボケ担当ばかりなため。)
 直観力と咄嗟の判断力に長ける郁と対照的な存在として描かれているため、頭は良いが融通が利かない、というようなシーンが目立つ。だが手塚個人で見れば優秀な図書隊員であることは間違いないので、今後の続編にて、彼の活躍シーンも期待したいところだ。

↓以下、ネタバレ

 郁の「王子様」は予想通り堂上である。予想、というよりセオリーに近い。むしろそうでなくては困る。顔を全く覚えていないだけならともかく、本人を前にしても全く気がつかないというのは、少々苦しい。しかし、肝心の郁は全く気付かないのに、堂上の方は最初から気付いている…という設定はオイシイので、多少の不自然は目を瞑るべきなのだろう。郁が揚々と「王子様」を語っているとき、堂上はどのような表情を浮かべていたのだろかと想像すると、大変くすぐったい気分になる。作中の表現を借りると、「痒い」!
 郁が自分で思いだすのか、堂上が名乗り出るのか、それとも第三者から情報がもたらされるのか。郁がどのようにして「王子様」イコール堂上であることを認識するのか、楽しみである。

 設定、キャラクター、ストーリー展開と、問答無用に面白かった。そして、今後ますます面白くなりそうな予感もプンプンしている。既に次巻「図書館内乱」は購入してきてあるので、これから早速楽しむことにしよう。全四巻のシリーズであるが、最後までニヤニヤさせてくれることを期待してやまない。

#12_伊坂幸太郎「オーデュボンの祈り」

コンビニ強盗に失敗し逃走していた伊藤は、気付くと見知らぬ島にいた。江戸以来外界から遮断されている“荻島”には、妙な人間ばかりが住んでいた。嘘しか言わない画家、「島の法律として」殺人を許された男、人語を操り「未来が見える」カカシ。次の日カカシが殺される。無残にもバラバラにされ、頭を持ち去られて。未来を見通せるはずのカカシは、なぜ自分の死を阻止出来なかったのか?

オーデュボンの祈り (新潮文庫)

オーデュボンの祈り (新潮文庫)

 伊坂幸太郎デビュー作。デビュー作とはいえ、機知に富んだ言い回しや、精巧に練られた緻密なストーリー展開はすでに顕在である。そして、本作はめずらしくファンタジー色が強い。著作順で考えれば「めずらしく」と言う表現は適切でないのかもしれないが、他の伊坂幸太郎作品に比べて少々異色な印象を受けた。まだまだ読んでいないものも多いので、何とも言えないのだが。

 伊藤はある日、見知らぬ部屋で目を覚ます。そこは“荻島”という、百五十年もの間外界との交流を絶っている土地であった。日比野と名乗る男に案内されて島を歩き始めた伊藤だが、出くわすのは奇妙な人間ばかり。人間ばかりならまだしも、最も奇妙なのは「喋るカカシ」である。優午という名前のカカシは当然のように人の言葉を発し、しかも未来が見えるのだと言う。俄かには信じがたいと思いつつも、伊藤は徐々に荻島へ興味をひかれていった。
 しかし一夜明けると、島の様相は一変していた。昨日会話を交わしたばかりのカカシが殺されていたのである。百年以上もの間、皆の指針となってきたカカシを失った島民達は、困惑し色めき立つ。その時伊藤には一つの疑問が浮かんでいた。なぜ優午は、自らが殺されるという未来を阻止できなかったのであろうか?見えなかったのか、それとも見えていた上で、誰にも伝えなかったのか…。

 主人公である伊藤が、様々な荻島の住人と出会い、会話を繰りかえす形で物語は進行する。これは、ゲームをプレイしている感覚に近い。ある人と会話を交わすと次のイベントが発生し、徐々にストーリーの全貌が見えてくる…といった具合である。場面転換がはっきりしているので読みやすく、テンポが良い。何よりも次々に登場するキャラクター達がとても奇妙で、魅力的なのだ。

 「園山」は妻を殺されたショックで気がふれて、以来嘘しか言わなくなった画家だ。嘘しか言わない、とは逆説的に真実しか言わないのと同じことであるのだが、小さな子供が駄々を捏ねているようでどこか可笑しい。
 途中で園山が「私は嘘しか言わない」と発言する場面があるが、これは言葉遊びに近い、パラドックスである。『嘘しか言わない』が嘘であるとすれば『本当の事しか言わない』という意味になるが、それでは『嘘しか言わない』が「本当」になってしまう。絶対に命令に従うロボットへ、「私の命令に従うな」と命令する事と同じである。こういうどこかお洒落な笑いが、この作品の一つの魅力だ。

 驚くほどに端正な顔立ちをした「桜」は、殺人を黙認された男だ。それは島の「ルール」であり「法律」として、彼自身の判断によって犯罪者を銃殺する。警察の間でも、桜の話題はタブーとなっている。
 極端な表現ではあるが、彼の存在は『人は人を裁けるのか』という疑問への一つの回答なのかもしれない。近年、裁判員制度の適用時に多く取りざたされたテーマだ。法律に当てはめてみれば絶対に死刑にならないような犯罪者を殺害してしまう桜は、一見残忍で無慈悲に思える。しかし法律を作ったのも、それを基準として裁判を取り行うのもまた、人なのだ。悪事に罰を与えるのは結局、人の主観でしかない。法治国家も桜も、やっていることは同じなのかもしれない。

 荻島の島民達がどこか現実感のない変な人物ばかりなのに対して、伊藤の回想シーンのなかで登場する元恋人の「静香」は人並み以上に現実を生きている女性である。努力を惜しまず仕事に励み、常に他人から必要とされていないと自らのアイデンティティを実感出来ない。程度に差はあれ、「必要とされたい」というのは誰でもが持ち合わせている感覚である。そこだけに盲目的になってしまうのは良くないが、認められたい、かけがえのない存在になりたいという気持ちをモチベーションに生きるのは、決して悪い考え方ではないと思う。
 過剰すぎるほどに仕事に打ち込み、非現実的なことは全て毛嫌いしているかのような彼女は、荻島で不思議な出来事に見舞われてばかりの伊藤と、分かりやすい対比の構図になっている。

↓以下、ネタバレ

 カカシの優午が自らの意思によって命を絶ち、様々な人物に少しずつの指令を与えることによって曽根川を殺害した。衝撃の真実!という印象ではないのだが、小さな伏線が繋がって一気に事件の全貌が明らかになる、ラスト間際の田中との会話シーンには爽快感があった。このあたりは、ファンタジーでありながらもミステリの性質を失っていないと言える。
「優午は人間に復讐したのかもしれない」―悲しい結末だが、納得に値する。

 優午の死、曽根川の死という事件とは別の謎として、島に伝わる言い伝えがある。『島には欠けているものがあり、外から来た人物がそれを置いていく』というもので、日比野以外の人間は誰も信じていない様子であった。
 実はこれは、「人間を形成するのに最も大切なものは何か」という問いに対して伊藤が繰り返していた「音楽とのふれあい」という冗談が重要な伏線になっている。中盤から怪しさを滲ませ始める轟と、心音を聞いていた若葉…というファクターが全て結びついたときには、少なからず興奮を覚えた。この奇妙な物語を締めくくるには、ふさわしいラストである。

 「先のことなんて知らないほうが楽しいもんだ。もし誰かに聞かれても『面白くなくなるよ』って言って、教えないほうがいいさ」
未来の見えるカカシがいてもいなくても、結局未来のことは誰にも教えてもらえない。どこか現実的ではない荻島で生きる人も、現実の中で生きる静香も、やがて現実へと戻っていく伊藤も。先が見えないという点では平等であるそれぞれの人生を、自分自身の価値観と判断で生きて行くしかないのである。ファンタジー要素の強いこの作品に込められたメッセージは、とてもリアリティーに満ちたものなのかもしれない。
 愉快な会話の数々や意外な展開は、理屈を抜きにして読者をワクワクさせるし、ストーリーの核となるテーマもしっかりと伝えてくる。「ボートでホイホイ行き来できるような距離にある島が、誰にも存在を知られていない訳ないジャン!」というような野暮な考えは破棄して、素直に読まれるべき作品であると感じた。

番外編_読書推進セミナー『今、なぜ読書が大切なのか?』レポート

 2011年7月7日〜10日に東京ビッグサイトにて開催された、【第18回 東京国際ブックフェア】に参加してきた。今回は番外編、いつもの読書感想文ではなく、こちらのイベントのレポートを記載しようと思う。
 私が足を運んだのは9日(土曜日)で、一般公開初日ということもあり大いに混雑していた。様々な出版社や書店のブースには定価の2〜5割引で本が買えるコーナーがあったり、海外の印刷物や電子書籍を扱う展示もあった。なかには本の他にも栞やブックカバーといった読書グッズを扱うブースも出展されており、見て回るだけでも大変楽しめた。帰る頃にはバーゲンブックのコーナーで見つけた本数冊と、(展示会では恒例の)大量のノベルティを抱えて、すっかり荷物が重くなってしまった。
 今回ビッグサイトへ赴いたのはもちろん展示会を見るのが第一であったが、もう一つ、私には大きな目的があった。というのは、展示会と同時開催される【読書推進セミナー】に事前予約で申し込んでいたのである。セミナーは主催側の予想を上回る予約数があったらしく、会場を二つに跨いで同時中継されるほどの盛況ぶりだった。
講義の内容はさすが精神科の先生であり、大変に分かりやすく且つ興味深いお話だった。以下に記載するのは、講義中に取ったメモを基に、印象に残った話を要約し感想を交えたものである。理解力と文章力の不足により当日の内容と差異が生じてしまうかもしれないが、あくまでも管理人の主観としてご理解頂きたい。


読書推進セミナー
『今、なぜ読書が大切なのか?』 国立医療大学大学院 臨床心理学専攻教授、精神科医 和田秀樹

 子供の活字離れが危惧されて久しい。テレビゲームやインターネットなどエンタメツールの多様化が要因の一つであることは間違いなさそうだが、かく言う和田先生も読書の嫌いな少年であったそうだ。宮沢賢治太宰治―親の買い与える小説に、何の面白みも感じられない。どんな本を開いてみても、数行目で追うだけで眠気が襲ってくる…。唯一熱心に毎日読んでいたのが、なんと新聞だったと言う。

「良い読書」と「悪い読書」を、区別しない事。
 物理の先生に聞くと、昔の学生は「問題が難しくて解けない」と言ったが、現在では「問題の内容が難しくて理解出来ない」と言う学生が増えたそうだ。物理以前の問題で、日本語が読み解けない。本を読まない子供が増加したことにより、日本語をまともに読めない人が増えているのである。
 そこで重要なのは、「とにかく何でも読んでみる」ことだそうだ。文学や評論にとらわれず、新聞、週刊誌など、どの様なものでも読んでみる。一見、教育的な意味合いを内包した小説や詩が「良い読書」であり、ゴシップなどの俗っぽい記事に溢れる週刊誌などは「悪い読書」であるように見える。しかしいくら「良い読書」であっても、読む気が起きないのでは仕方がない。あくまでも重要なのは内容云々よりも、字を通じて理解が広がる、情報を得ることが出来ると知ることなのだ。
 「良い読書」と「悪い読書」を区別せず、興味がもてる文章を読む。逆に言えば、区別をするようなゼイタクを言える時代ではないのである。それほどまでに、現代人の日本語力は低下しているのだそうだ。


■読書で、頭が良くなるのか?

 いま私たちが生きる現代は『知識社会』なのだと言う。
 昨今インターネットの急激な普及により、これまでは専門家しか知りえなかった情報も、パソコンや携帯電話などの端末を少し操作するだけで誰しもが入手出来てしまう。つまり、必要な情報はいつでもその都度引き出すことが可能なのだ。ならば情報化が進めば進むほど、勉強の必要性が無くなるのではないか?

大事なのは「情報」よりも「知識」
 沢山の情報を知りえたとして、それはあくまでも無機的に情報が「ある」に過ぎない。その情報の中で思考を巡らせる材料となるのは知識なのだ。「情報」とは、頭の外にあるもの。逆に「知識」はその人の頭の中にあり、いつでも活用出来るスタンバイオッケーの状態である。
 情報はインターネットで入手出来る。そして知識は、読書によって身につけることが出来るのだ。

『頭の良い人』=『知識人』ではない
 そもそも頭が良いとは一体、どのような事を指しているのだろうか。
 和田先生曰く、それは知識を加工し、応用出来ることだという。たとえば多くの知識を持ち合わせていても、その知識を自分のものとして活かせないのであれば意味がない。知識の加工とはつまり、ケースバイケースで自らの知識を上手く活用していくことを言うのだろう。
 では知識を加工しやすくするには、どうすれば良いのか。それには、今ある知識で満足しないことが重要なのだそうだ。知識を得た時に「そうだったのか」と納得するのではなく「そうかもしれない」と、一つの可能性として理解する。物事における多くの可能性を考えることが、知識の加工をしやすくするのだ。そのためには、要点だけを切り取り、決め付け的に放送するテレビの情報よりも、多角的に捉えられた本による知識が重要になる。
白か黒かだけではなく、グレーの部分を知る。それこそが読書によって身につくことであり、延いては、読書を通じて頭が良くなるということである。


■読書によって心の健康を得ることは出来るのか?

 このあたりのテーマは、さすが精神科医である。
 読書によって物事の様々な可能性を知ることが出来る、とは先に記述した。実は、「白か黒か」という極端な考え方は、精神衛生上よろしくないらしい。白か黒だけではなくグレーを知ること、つまりは深く考えすぎないということが、心の健康にとっては重要なことだと言う。

多くの中から選択する、その材料としての「本」
 色々な考えがあると知り、決め付けを無くすためには、色々な本を読むのが良いそうだ。あれこれ試して、自分に合うものを選ぶ。また、多くの中から良い部分だけを採用する…つまり「良いとこドリ」をする。その材料として、本があると言う。小説からは人の心がわかる想像力が広がり、そのことは心の豊かさに繋がる。しかしそれ以前に、様々な本を読むことで多角的な見方を養うことが、心の健康にとっては不可欠なのだ。


 どのような本が良い、ではなく、様々な文章に触れてみる。そのことは自分の知識を応用する力につながり、心穏やかに生活することにも一役買ってくれる。どのような面で見ても、読書がもたらすのがプラスの作用であることは、どうやら間違いなさそうだ。

#11_三崎亜記「となり町戦争」

ある日、突然にとなり町との戦争がはじまった。だが、銃声も聞こえず、目に見える流血もなく、人々は平穏な日常を送っていた。それでも、町の広報紙に発表される戦死者数は静かに増え続ける。そんな戦争に現実感を抱けずにいた「僕」に、町役場から一通の任命書が届いた…。見えない戦争を描き、第17回小説すばる新人賞を受賞した傑作。文庫版だけの特別書き下ろしサイドストーリーを収録。

となり町戦争 (集英社文庫)

となり町戦争 (集英社文庫)


 ブックオフの100円コーナーで見つけたので手に取った。前々から思っていたが、ブックオフの価格設定はどのような基準で決まっているのだろうか。もちろん作品や作家の知名度や本の劣化具合が加味されているのだろうが、ときどき100円コーナーに人気作品が紛れていたり、逆にとても綺麗な状態とは言えない文庫本が350円していたりする。全く同じものが店舗によって値段の違うこともあるし…もし読んで下さった方でブックオフ関係者様がいらしたら、そこらへんこっそり教えてほしいです(笑)。

 主人公「僕」こと北原修路は、月二回発行される町の広報誌「まいさか」でとなり町との開戦を知る。【となり町との戦争のお知らせ】―だが開戦日を迎えても、両方の町に変わった様子は見受けられなかった。この「戦争」は、映画や教科書で見知っているようなあの「戦争」とは違うのだろうか…。しかし、次に目にした広報誌「まいさか」に書かれていたのは【戦死者12人】の文字だった。確実にこの町の誰かが、どこかで死んでいる。それは「僕」にとって全く現実感の抱けない事実であったが、町役場から届けられた任命書をきっかけに徐々に「戦争」と関わりを持ち始める。

 まずタイトルからしてかなりセンセーショナルなのだが、物語も唐突に【となり町との戦争のお知らせ】を主人公が目にするシーンでスタートする。しかし、町と町との戦争が当たり前になっている世界観なのではなく、読者と同じように主人公もこの「戦争」がどのようなものか理解していない。主人公が町役場から「偵察業務従事者」に任命されると徐々に「戦争」の様子がぼんやりと見え始め、どうやらそれは町の事業としてどこまでも事務的に扱われているようなのだ。この設定に大きな違和感を覚えながら読み進めることになるのだが、それこそが作者の狙いに違いないのだろう。実態をつかめないまま、好奇心半分で徐々に「戦争」への関わりを深めていく主人公と同じ心境を味わい、同じように「この戦争とは何なのだろう?」と考えさせる仕組みになっている。
 
 実体の見えない「戦争」がテーマであるから、凄惨なシーンや残虐な描写は一切ない。口語体ではあるのだが、感情的な表現や心理描写も少なく、淡々と進んでいく印象を受ける。そのような描かれ方は始めから終りまで一貫しているのだが、物語の後半ではもう少し主人公の内面について説明があっても良かったように思う。最後まで読み終わっても結局主人公の意思表示がなされないのでは、少々投げっぱなし過ぎる。問題提起がなされた以上は、一意見として「僕」が「戦争」をどう感じたのか、聞いてみたかった。

↓以下ネタバレ

 主任が通り魔殺人の犯人であったこと、香西さんが隠した「業務分担表」3枚目の内容、説明会で見かけた男が香西さんの弟であったこと。このあたりは全て予想が出来てしまうので、事実が明かされてもさして驚きは得られないが、別に驚かせる意図があって書かれた訳ではないと思うので特に問題ではない。逆に「きっとそうなんだろうな」と予感がある分、切なさを倍増させる効果をもたらしている。

「めぐり巡って、あなたは誰かの死に手を貸しているのかもしれませんよ。」
 自覚の有無は別として、全く無関係な出来事など世の中には無いのかもしれない。文庫書き下ろしの短編では、むしろ本編よりも分かりやすくこのあたりが表現されている。関わりを持ちながらも、どこか現実感のない「戦争」。執拗に繰り返される「戦争」というワードには、となり町でも世界の知らない国であっても、同じ「戦争」であるというメッセージが込められているのだろうか。
 物事に無関心なポーズを取っている今の自分を省みてしまう、そんな作品であった。

#10_北沢秋「哄う合戦屋」

天文十八年(一五四九年)。甲斐の武田と越後の長尾に挟まれた中信濃土豪が割拠する山峡の名もなき城に、天才軍師・石堂一徹が流れ着いた。一徹に担がれた領主の遠藤吉弘は、急速に勢力を広げる。しかし吉弘が一徹の心の奥底に潜むものに気がついたとき、歯車が狂いだす―――乱世を生きる孤高の天才の愛借を描き、全国書店員が大絶賛した戦国エンターテインメントの新境地!

哄う合戦屋 (双葉文庫)

哄う合戦屋 (双葉文庫)


 最近あまり本が読めていないので、少し前に読んだ本の感想。「哄う」と書いて「わらう」。
 単行本が書店で平積みされていたときから気になっていて、文庫化を楽しみにしていた作品。事前情報一切なしで「ドレドレ!」と読み始めて早速…石堂一徹って、ダレ!?と、面喰ってしまった。主人公は世に聞こえた天才軍師なのだが、全く聞いたことも無い名前。そんなに武功のある人物なら、現在まで名が残っていても良さそうなものなのに…
 と、知らなくて当然。これはフィクションなのだ。
主人公「石堂一徹」の他、領主の「遠藤吉弘」その娘「若菜」も当然、架空の人物。武田晴信(信玄)など実在の人物も出てくるから、史実かと勘違いしがちなのだ。なんだ、ビビらせやがって…
 
 天才的な戦の手腕でその名を知らしめながらも、誰に仕えても長続きしない石堂一徹が、自領の領民からは敬愛されつつも野心に欠け、三千八百石に留まる領主の遠藤吉弘の下に仕えるところから、物語は始まる。一徹の先を見通した完璧な戦術と、領主の娘・若菜の誰からも愛される才能により、遠藤領は瞬く間に何倍にも膨れ上がる。吉弘は喜びつつも、その急速な状況の変化に戸惑い、徐々に一徹への疑念を抱くようになる。そんな時、ついに甲斐の武田が攻めてくるとの知らせが届く―――。
 
 主人公の一徹は、背が高くて彫が深く、無愛想なキャラクター。それに対して、物語の重要なキーになるヒロインの若菜は、小柄で天真爛漫、誰からも愛される可愛らしいお姫様。この相反する二人のキャラが分かりやすくてとても良い。とくに若菜は、明るくて可愛いだけでなく、頭の回転も速く、周りが良く見えている。しかも自分の役割をしっかりと理解していて、時には計算でわざと我がままに振る舞ったり、半ば確信犯的に笑顔を振りまいたり…なかなか恐ろしい娘である。そんな娘であるから当然父親の吉弘は溺愛していて、一徹と若菜が徐々に親密になるのが堪らなくて、徐々に一徹を遠ざけるようになるわけだが、そういう意味では若菜は、父の心理までは完全に理解しきれていなかったのかも知れない。もしくは、そんな父の嫉妬を知りつつも、一徹に惹かれる心は止められなかった…ということか。一徹は誤解されようが理解されなかろうが、一切お構いなし!みたいな男だし、疑念を抱かれても仕方ない原因は一徹の方にも多くあるように思う。やっぱり説明が必要な場合もあるよ、というのが私の意見。

 戦のシーンでは、「本当にコレが、画期的な作戦なの?」と疑問に感じてしまう部分もあるが、基本的には分かりやすく読みやすい(言葉使いも現代っぽい)。血なまぐさい描写もほとんどないので安心できる。ただ、最終章でいよいよ武田との一戦!という場面は、もう少しページを割いて描かれても良かったのではないか。急速にラストを迎えてしまう感じがして、少しもったいなく感じた。たった一人の従者・六蔵との会話もなんだか唐突に思えて、もう少し前から二人の絆について触れていれば、もっと感動したように思う。ただこの辺に関しては続編(?)が刊行されるようで、そちらでは今回のストーリーよりも前の出来事が描かれるようなので、乞うご期待!ということなのかも知れない。
 「思えば拙者は、月も星もないまったくの闇の中を、いつか日が上ることだけを信じてたった一人で歩き続けてきたようでござる。人の心は弱いものです。歩いてきた歳月が長くなればなるほど、いくら何でももう夜明けではないかという気持ちが切ないまでに募って参ります。が、この無明長夜の果てに、一体何が待っているのやら」
 結局一徹は、自分自身を使いこなすことの出来る人間なんて一人もいないと、悟ってしまったのかもしれない。才能があるが故の孤独、とはありがちなテーマだが、一徹は自分が人に理解されない事よりも、力を存分に揮う場に恵まれない事の方がよっぽど嘆かわしいようだ。「天下が欲しい」とは言っているが、天下そのものよりも、自らの手で天下を平定する“過程”が大事なのだろう。そこが「合戦屋」たる所以。仮に一徹の手腕により泰平の世が訪れる…なんて事があったとして、そのあとは燃え尽き症候群になってしまうのではなかろうか(笑)。

 心を震わす超大作!とはいかないものの、歴史好きであれば十分に楽しむことができる。文体も易しいしページ数もそれほど多くないので、もしかしたら歴史小説にそれほどなじみのない人も入りやすいかもしれない。深く考えずに、サラリと読めてしまう作品である。