#02_伊坂幸太郎「ラッシュライフ」

泥棒を生業とする男は新たなカモを物色する。父に自殺された青年は神に憧れる。女性カウンセラーは不倫相手との再婚を企む。職を失い家族に見捨てられた男は野良犬を拾う。幕間には歩くバラバラ死体登場―。
並走する四つの物語、交錯する十以上の人生、その果てに待つ意外な未来。不思議な人物、機知に富む会話、先の読めない展開。巧妙な騙し絵のごとき現代の寓話の幕が、今あがる。

ラッシュライフ (新潮文庫)

ラッシュライフ (新潮文庫)


 二回目、伊坂幸太郎です。会社の先輩に貸してもらいました。
 伊坂幸太郎の作品は過去にも何作か読んでいるけれど、なかでもこれは、ストーリーに引き込まれるまで比較的ページが必要かな?と感じた。その分、後半にドカンと波が押し寄せる感じはサスガ。読後にゆるゆる読んでしまった冒頭を読み返してみると、0章からいきなり伏線が敷かれていたなんて…。

 プロの泥棒「黒澤」、高橋という男を崇拝する団体に身を置く「河原崎」、ダブル不倫の関係にある男と共に、お互いの結婚相手を殺害しようと画策する「京子」、勤めていた会社をリストラされ、再就職試験を四十連敗中の「豊田」。一見何のつながりも持たない四つの物語を、順番に少しずつ進行していく形でストーリーは展開していくが(このあたりは「グラスホッパー」に近い)、読み進めていくと少しずつ、それぞれの交錯した繋がりが浮かびあがってくる。
 しかしコレ、時系列が少し難しい。意図的に時間を錯覚させるような仕掛けがちりばめられているので、ひとつの繋がりに気付けても「アレ?これとこれはどっちが先なの?」と別の疑問が湧いてくるといった具合。そして最終的に読み終えてみれば、何のことはない、ただの一本道だったことに気づくのである。うーん、すごいなぁ。

↓以下ネタバレ

 具体的に言えば、まず、京子が闇サイトで購入した拳銃を豊田が入手するシーン。京子が清掃員とぶつかった拍子にカギを紛失して、その直後に豊田(の連れた犬)が駅に落ちているカギを発見したように思える。ここで何となく、四つの物語が同じ一日の出来ごとであるような錯覚をしてしまうから、幾多の伏線には最後まで気がつかないのである。実際には豊田がカギを拾ったのは京子が落とした次の日で、その直前に出会った、犬にハサミを向けるアブナイ女こそが京子なのだが。
 それから、黒澤と豊田が舟木のマンションで鉢合わせするシーンもそうだ。黒澤が佐々岡に「トイレに行く」と言い残して、その間に再び(黒澤が初めに20万円を盗んだのも舟木の部屋)舟木のマンションに忍び込んだように思えるが、後から考えればここは本当にトイレに行っていただけで、豊田が舟木を殺害しようとマンションを訪れるのは、黒澤と佐々岡が出会った日の2日後である。

「人生はきっと誰かにバトンを渡すためにあるんだ。今日の私の一日が、別の人の次の一日に繋がる。」
 整理するとつまり、①河原崎→②黒澤→③京子→④豊田 という順に、バトンが繋がっていたことになる。同時進行ではなく、一直線だった。時系列を裏付けるヒントになっているキーワードが、スケッチブックを持った外国人女性、コーヒーショップの割引券、クロネコの「ミケ」、老犬(の首輪)、「高橋」が当選させた宝くじ…などなど。他にも細かい伏線が随所に見られる。ちなみに私は塚本の持つ宝くじと黒澤が玄関で拾った宝くじ、2枚あると勘違いしていた。どっちが当たりなのかな?とか考えたり。

 のこぎりで死体を解体する音、トランクを開けるとバラバラの人間が入っていた…などの描写は、想像すると血の気が失せるが、黒澤と佐々岡の会話はオシャレで、ユーモラス。(黒澤のパートは、安心して読むことが出来る。)しかし河原崎に関しては、父親が自殺をした後に、溺れる猫を助けている姿を見ただけで、あそこまで「高橋」に陶酔できるものなのか?と疑問に思ってしまった。それだけ結局、河原崎は父親が好きだったということかもしれないが。塚本を殺してしまうのも、父を侮辱されたのがきっかけだったし…。高橋の存在だけは最後まで謎の多き人物として描かれているが、彼は本当に神がかった能力の持ち主っだのだろうか。個人的にはミステリに非科学的な要素が介入してくるのがあまり好みではないので、マスコミを通した河原崎へのメッセージも、宝くじの当選も、何らかのトリックがあったんだろうなぁきっと、と思いたい。

 ラストに豊田と戸田が対面するシーンは爽快であるし、読後の気分は悪くない。四つのストーリーを斜め上から見下ろすようなポーズを取っていた戸田が(冒頭のセリフ「馬鹿な失業者はもちろんのこと、自分ではうまくやっていると勘違いしている泥棒や宗教家、とにかく、今、この瞬間に生きている誰よりも私は豊かに生きている」からもうかがえるように)ボロボロになった豊田に一本食わされるのは、思わずニヤリとしてしまう。豊田エライぞ、と。

 考えさせられた、とか心が洗われた、とか感情移入してしまった…という部類の話では決してないが、ひとつのエンターテイメントとして確立しているように思う。それぞれの心理を深く読み解くというよりも、時間や人間関係の仕掛けを楽しみながら一気に読むのが、この小説との正しい付き合い方なのかもしれない。