#09_中山七里「さよならドビュッシー」

ピアニストからも絶賛!ドビュッシーの調べにのせて贈る、音楽ミステリー。ピアニストを目指す遙、16歳。祖父と従姉妹とともに火事に遭い、ひとりだけ生き残ったものの、全身大火傷の大怪我を負う。それでもピアニストになることを固く誓い、コンクール優勝を目指して猛レッスンに励む。ところが周囲で不吉な出来事が次々と起こり、やがて殺人事件まで発生する―。第8回『このミス』大賞受賞作品。

さよならドビュッシー (宝島社文庫)

さよならドビュッシー (宝島社文庫)


 あらすじを読んで面白そうだと感じつつも、タイトルから敬遠していた作品。と言うのも、私はほとほと音楽には疎い。義務教育を終えた後の芸術科目はもっぱら美術を専攻しており、クラシックの知識はゼロに近いのである。当然「ドビュッシー」がどんな人物かも知らないし、もっと言えば作曲家であったことすら曖昧な始末なのだ。
 とは言え食わず嫌いは良くないし、漫画「のだめカンタービレ」は好きだったし…と、とにかく読み始めてみた。

 物語は、主人公の香月遙が火事に巻き込まれるところから始まる。全身大火傷という重傷を負いながらも命だけは助かったが、莫大な資産を持った祖父と、従姉妹の片桐ルシアは亡くなってしまう。ルシアはかつてインドネシアに住んでいたのだが、スマトラ沖地震により両親を亡くしており、遙の両親との養子縁組によってもうすぐ姉妹となるはずであった。ショックと悲しみも治まりきらないなか、弁護士によって祖父の遺言状が読み上げられる。そこには、十二億七千万円にも上る総資産の半分を遙に相続させるという驚くべき内容が書かれていた。
 戸惑いつつも、遙は以前からの夢であったピアニストになるため、火傷の後遺症を押しながらピアノのレッスンを開始する。講師を名乗り出たのは、人気と実力を兼ね備えた若手ピアニスト・岬洋介であった。岬のピアノセンスと全てを見透かすような英知に驚きながらも、遙は懸命にピアノの練習に取り組み始めた。しかし、まるで誰から命を狙われているかのような、不吉な事件が遙の周辺で次々と起こり出す。遺産相続をめぐる身内の犯行か、それとも―。

 主人公は春から音楽科の私立高校に入学したばかりの少女であり、彼女の口語体によって書かれている。大人になりきらない微妙な年齢ならではの、不安や悩みが等身大に表現されており、境遇こそ特殊ではあるが中身はどこにでもいそうな女の子である。火傷によって満足に動かせなくなった体を嘆きつつも、ピアニストになるべく猛レッスンする様子は好感が持てる。他者の素晴らしい演奏を聴いて劣等感を感じたり、同級生によるいじめや周囲の大人からの好奇の目線に心を痛めたりはするが、ピアノが好きという気持ちは一貫しており、やがて前を向き直して立ち直っていく強さを持ち合わせている。このあたりは、少年漫画の主人公のような性質にも似ている。
 もう一人、主人公にマンツーマンでピアノを教えながら、周囲で起きる不審な事件にも鋭い洞察力と推理力を見せ、時には心のケアをするような発言もする―、どこを取っても完璧としか言えないキャラクターが岬洋介である。自身は世間で注目を集める人気の若手ピアニストであり、おまけに容姿端麗ときている。この岬先生が、とにかくカッコイイのだ。語り口は柔和だがピアノを教えるに際しては甘やかすことを決してせず、どんな時にでも落ち着いている。ときに驚くほど的を射た助言をし、主人公が「魔法使い」であると形容したこともうなずける。これは女性読者に限ってであるが、岬洋介という人物を見るという意味だけでも、一読の価値があると思う。それほど格好良くて、魅力的なキャラクターなのだ。

 遙がピアノのコンクールで勝つことは出来るのか、家族の周辺で起きる不可解な事件の犯人は誰なのか。この二つが同時進行で進んでいくために飽きさせない。お互いが良いバランスであり、ミステリとしての資質を十分に残しつつも、スポ根的な(この場合はスポーツではなく音楽であるが)青春小説としての要素も加味されている。そういう意味では、どのような人にも読みやすい小説と言えるかもしれない。
 懸念していた音楽の知識不足であるが、これはそれほど気にならなかった。もちろん作曲者名やクラシックのタイトルはしばしば登場するので、もしそれがどんな曲か思い浮かべることが出来たならもっと違う感じ方があったのであろうが、ほとんど何も分からない私でも十分に楽しむことが出来た。おそらく、作者がそのように気を使って著作しているのであろう。


↓以下ネタバレ


 一つ残念なのは、人物入れ替わりのオチが予想出来てしまったこと。というのも、文庫の帯に「最後にドンデン返しがある」と書かれていたのだ。これは少々頂けない。ドンデン返しってことは、きっと…と、ある程度ミステリに慣れ親しんでいる読者であれば察しがついてしまう。ここはもっと、素直に驚きたかった。

 そうは言っても、中盤の緊張感やピアノ演奏シーンの表現はとても引き込まれるし、少々切ないラストも良い読後感を残してくれる。伊達に『このミス』を取っていない、大変面白い作品であった。
 本作の続編として『おやすみラフマニノフ』が刊行されており、こちらも音楽を題材としたミステリであるらしい。すっかり「岬洋介」のファンになってしまった私としては、文庫化を楽しみに待つばかりである。